引用元:今までにあった修羅場を語れ【その28】

591: 名無しさん@おーぷん 20/10/09(金)21:17:46 ID:Qs.r9.L3

最初に書いておくが、とても長い。

俺の両親は俺がまだ母の腹の中にいる時に別居して、産まれて数ヶ月で離婚した。
以来ずっと母子家庭で、貧乏生活だった。
母は祖父母と確執があって頼れなかったらしく、
生活保護を受けながらどうにか生活してると言う感じ。


その母が、俺が小3の時に再婚。相手の男には俺より5つ上の男の子がいて
兄が出来たわけだが兄とは言いたくないのでAとする。
父子家庭だったAの方は、潤沢な小遣いを貰ってて金には困っていなかった。
ゲームは最新の物を持っていたし、髪もカッコよくカットしてて、普段着も洒落てた。
友達も多かった。
俺はと言えば、友達と遊べばゲームとか漫画とか共通の話題が必要になってくるので
いつもひとりで図書館で借りた本を読んでた。
それが一番金を掛けずに長時間遊べる娯楽だったから。
当然俺とAは合わなかった。
Aは俺と言う存在を、サンドバッグを手に入れたとでも思ったのか
とにかくよく殴られ、蹴られた。意味もなく。
部屋の隅で体育座りして本を読んでるだけで、
目障りだと言って蹴りながら部屋から追い出された。
ごはんの時には、好物があれば俺の皿から当たり前のように奪って行った。
小遣いも、年上なぶんAの方が多く貰ってたのに俺の小遣いを取り上げられた。
俺の誕生日なのに、メッセージの入ったチョコレートの板は速攻で食われた。
そう言ったことを母の目の前でやっているにも関わらず、
母はAを叱ることは一切なく、見てみぬふりだった。


養父は金さえ入れておけばOKと言う人だったようで、母はそんな夫にしがみついていた。
当時まだ小学生だった俺にでもわかるぐらいに、ふたりのそれは露骨だった。
だから母はAを叱ったりはしなかった。
Aに好かれようと、母親と思ってもらおうと必死で、俺には我慢しろとしか言わなかった。
またあの貧乏生活に戻りたいのかって。
俺にとってはあの頃の方が幸せだったんだけどね。


長々と書いたけど、要するに俺は家族と言うものに何の期待もしないまま成長した。
養父は大学に行きたいなら金は出してやると言ってくれたが
どこの大学にも引っかからず2浪して諦めてフリーターやっているAがいる家から
大学に通いたいなんて気持ちは一切無かったので、高卒で就職した。
社員寮のある会社を選んで家を出た。




592: 名無しさん@おーぷん 20/10/09(金)21:17:52 ID:Qs.r9.L3

それからは正月でさえ一切実家には戻らなかったんだが
2年ぐらい経った頃、母が寮を訪ねてきていきなり泣き出して
てっきり帰らない息子と久々に会っての涙かと思ったら
Aにレ〇プされたんだとさ。
俺、母を可哀想だとも、Aを酷いやつだとも何とも思わなかった。
他人事にしか思えなくて母を慰めるとか全く頭をよぎらなかった。
Aへの怒りも無かった。
反応の薄い息子に、母は「家に帰ってきてくれ」って言ったけど
「俺、今やっと自由に生きてる。うちにいた頃楽しいと思ったことは一度もなかった」
と言って断った。
本当は母のこれまでの態度を詰りたい気持ちもあったが、
さすがにその状況でそれは言えなかった。
それから半年ぐらい経って母は首を〇った。
葬式はしなかった。
養父から連絡があって、養父とAと俺だけで火葬場に行って焼いた。
養父から「互いに養子縁組はしてなかったから、これで他人になる」って言われて
「わかりました。ホッとしました」と答えた。
母から相続するような預貯金は2桁万円しかなく、
養父は「はした金だ。おまえ(俺)にやる」と言って相続放棄。
たぶんこの人にとって母は家政婦でしかなかったんだろう。


想像でしかないが、母は安定した生活こそ手に入れたが
家政婦が与えられた予算でやり繰りするような生活だったんだろう。
それでもしがみつくほど貧乏が嫌だったのか。
俺は一日二食の生活でも良かったのに。
アルバイト出来るようになったら頑張ったのに。
Aを叱ることをしてくれていたら、母を守ろうと思えたのに。
そう思う一方で、さっさとタヒんでくれてありがとうと言う気持ちも正直ある。
幸い大きくはないが安定した企業で特に不満もなく働き、満足のいく報酬も貰っている。
自分で得た金を自分の思うように使える生活は幸せだ。
このままひとりで生きて、ひとりでタヒんでいきたい。



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